2020年06月30日

高度過ぎるプレイは日常行動と区別がつかない

久しぶりにシモな方向のネタを。

小学校の頃だったかな、公園のトイレで、小便器が繋がってるような形のところがあったんだ。
便器が繋がっているというより、タダの溝って言うかな・・仕切は当然ない。

今でも海外ではあるけどね。こういうやつね。kKrRznf.jpg
そこで現地人のナニをそれとなく見たりするw


で、そこでおしっこしてたんだよね。jobbbb.JPG
別に当時はそれは珍しい形式でもなかったし。


後からおっさんが入ってきて、ボクのすぐ隣に立ってごそごそとナニを取り出したんだ。osanin.JPG

もちろん、トイレだから普通のことなんだけど、妙に距離が近い。
5mはあるスペースに二人しかいないのに。

ただ、別に変なことはされてないんだ。
ボクに一切触れても居ない。

そのおっさんは、ボクの放出した尿に、自分の尿を重ねるように飛ばして・・尿を交差させた。gatai.JPG

いや、だから何だって話で、別に出た後の尿に、別の誰かの尿が混ざったところで、なんということもないし、それを言い出したらそもそも下水と言うのは何千何万の人の糞尿が混ざっているんだけど・・それでも、意図的にボクと尿を混ぜてきたおっさんは何だったのだろうか。

ちなみに当時のボクは特に何か気持ち悪いとも何とも思わなかった。
「なんだこの人?」くらい。

でもね、ふと思い出したんだ。

ボクは確か、おっさんが隣に来た時、ちょっとだけ、おっさんとは反対の方向に体を傾けたんだ。
なんとなく恥ずかしくて。osanin.JPG

けど、おっさんの尿が描いた放物線は、その距離をものともせずに、その軌跡はボクの尿の軌跡と交点を作り上げたんだ。

つまり、かなりの飛距離、そして角度。

それってさ・・つまりさ・・・ホースに圧力がなければできない芸当なんじゃないかな。
つまり、その時おっさんは・・・勃ってたんじゃないだろうか??

つまりこんな風に!gtan.JPG


そして、尿を合流させるって・・・実は何かものすごく高度なプレイなんじゃないだろうか??

当時のボクは、おっさんのおしっこが若干酒臭かったのと、大人って飛距離凄いんだな、と思ったくらいで、何も特別なことはなかったけど・・。

後になって良く考えてみると実は怖い話だったったってこと、結構あるよね。
いや、考え過ぎかな。


う~ん・・またしてもクソ記事を書いてしまった。
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posted by かのぴ~ at 22:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月27日

US-Lawyerの幻想

一時考えてたんだけどさ、米国弁護士資格を取得しようかと思ってた時期があるんだ。
小室某で最近急激に有名になったけど、NY州とかカリフォルニア州あたりの弁護士資格を日本人が取得するってのは実はそんなに変な話ではないんだ。昔から。https___imgix-proxy.n8s.jp_DSXMZO3392180007082018000001-1.jpg

企業の法務部から派遣されて留学するパターンと大手渉外事務所の弁護士がいわば箔を着けるように留学するパターンとがある。

日本の弁護士資格があれば、米国でJ.D.(法学士)を改めて取得する必要はなく、Bar Examを直接受けられる州もあるんだけど、日本の資格がない人は、日本の法学士を前提に、L.L.M(法学修士)を米国のLaw Schoolで取得してBarを受けることになる。
小室某はL.L.Mのパターンだね。

もっとも、日本人弁護士でもいきなりBar受ける人は多くなく、L.L.M取ったり短期留学したりしてからBarってやってるみたいなんだけど。


実はボクは30代の頃、これを考えてたんだ。

このころ、日本の司法試験制度改革から数年経って、かなり実態が分かってきたからね。


法務部門なんていると、たまに他部門の従業員から連絡が来るんだよ。

「息子が(新)司法試験に受からない。ロースクールを出ているが法務部で採用できないか。」

以前は新司法試験の受験が、ロースクール卒業後3回までってなってて、いわゆる「三振」なんて人が出て問題になってたからね。

もちろん、採用するわけがない。
新卒でも中途採用でもない、タダの落後者としか見られてなかったからね。


そして弁護士の対価は二極化していた。
大手渉外のタイムチャージは高く、大きな国際紛争なんて任せたら余裕で億単位の弁護士報酬だ。

一方で、従業員のちょっとしたトラブルを気まぐれで任せる街弁は従業員が直接対応するより安いから手が足りない時に外注感覚で適当に頼んだりする。


これはダメだと思ったね。
日本の弁護士は終わった、と。


30代の頃は8割がた海外に住んでたんだけど、東南アジア、南西アジア、オセアニア辺りで見る弁護士の在り方はもっと多様で、カジュアルで、社会に入り込んでいるようにボクには見えた。

マレーシアやタイでは、大学の法学部を卒業し、実務経験と試験で弁護士資格を取得できる。
インドネシアは確か数段階の弁護士制度があったはず。
クオリティもまちまちだけど、行政書士、司法書士、社会保険労務士、税理士あたりの職域を盛り込んだ経営コンサルタント的な働き方で、日系企業のアドバイザーとしてそこそこ重宝したり、そこそこ気が利かなかったりコミュニケーションロスで無駄骨負ったりさせられた。

それから米国。
米国の場合専門性の確保はしっかりしているけど、数が多く、やはりカジュアルに使えるコンサルタントだった。

そうした在り方の方が、むしろ日本の企業の法務の外注先としてはやりやすいし、自由だし、変な社会的に排除された人々を生まないやり方だと思うんだ。


日本の、殆ど意味のない試験と権威信仰。
実態を顧みない建前で使い潰される弁護士・・・その枠から外れて、かつ企業の枠を外れても生きていける方法の一つとして、国外弁護士資格の取得は魅力的な選択肢だった。



で、取りに行ったのかというと、行ってない。

英語力が全然足りなかった。

当時、TOEICでは800点台後半、ギリギリ900いかないくらい。
この程度の英語力では、Law Schoolの講義や議論に全然耐えられないんだ。

言ってることは理解できても、反論や意見を組み立てて即座に論理展開するレベルの英語力が必要とされるけど・・それはまぁ無理だ。

その後、英語圏とのかかわりが増えて、TOEICにして900点台中盤まで来た今でも、それができるとは思えない。全く思えない。

そして職。
Law Schoolで2年休職して、そのうえBarに受からなかったら・・いや、それどころかL.L.M.すら取れなかったらというリスクに耐えられなかった。

日本のロースクール卒(三振法務博士)と違って、米国Law School卒ってのはそれ自体で価値はあると思う。
実際、日本の渉外弁護士で、米国L.L.Mを名刺に入れている人も居たりする。知っている人が見たら、「あれ?この人L.L.Mなのに州弁護士資格ないんだ・・」って思っちゃうけど、少なくとも極めて実践的な英語力の証明にはなっているからね。

だけど、そのL.L.Mすら失敗したら・・三振法務博士よりも酷いことになるな。
会社辞めて(休職して)留学してました・・で通るんだろうか。


海外居住していたボクが、そこから休職なり退職を願い出て、米国に渡って留学・・というのはあまりにボクにとってリスキーだった。
駐在員の恵まれた雇用条件が、突飛な行動にストップをかけた側面もあった。


考えてみたら、いくつかの国での長い駐在員経験がなかったら思い切れたのかもしれないな。
いや、でもそもそも駐在していなかったら結局検討するレベルの英語力さえ身に付かず、どうせダメか。


どう転んでも、やっぱりボクは何かに挑戦できないんだな。


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posted by かのぴ~ at 20:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月24日

大学入試 新共通試験

新型コロナの話題が少し退潮になったからか、新大学入試試験の話を見かけるようになった。

大学が序列化して、その序列の上位を目指すかなり単一化された価値観の「教育」(そんなもん教育と呼べないと思うけど)が前提にある限り、テストをどんなに変えたって、しょせん序列決定ルールの変更でしかないと思うんだよね。

絶対に対策は打たれるし、その結果、試験の実施意図は外れていく。

みんなテストの点数による序列が欲しいのであって、テストが意図している学力なんてどうでも良いんだもん。当り前だよね。
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一方、今回の共通試験変更の内、英語の内容変更だけは多少マシだと思うんだ。
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序列をつけるために決まり事の理解度を競う虚しい戦いであるという、教育の本質自体を変えるようなものではない。
それでも決まり事が余りにも現実的からかけ離れた状態よりは、少しでも現実社会に応用が利いた方が良いに決まってる。


ボクは、英語は実技科目で、体育や音楽、美術と同じだと思っている。
理論を問う他の教科とは根本的に違う。

知っていることとできることが根本的に違う。

より良くできるようになるために、知っていると助けになる知識はあるかもしれないとは思うけど。


机に向かってやったお勉強で、「英語ができる」と勘違いしちゃった高学歴くんたちの多くが、新試験で受けたたら英語の点数半分だろうな、と思うとちょっと気分が良くなったりもする。


けど、多分それは妄想だ。

実際には、カネと時間をかけて勉強に資源を投入できる恵まれた環境の人たちが、書物を頼りに努力でカバーしてきた厳しい環境に居る人たちよりも、更に有利になるんだろうね。

Reading, Writing中心の試験よりも、学習環境格差は大きく結果に反映されるはずだからだ。

大学卒業まで、日本から一歩も出たことなかったようなボクみたいなヤツは・・そもそも一生外国語を実践的に触れること自体ができなくなるんじゃないだろうか。ボクはそんな危惧をする。

少なくとも、ボクが大学受験のときにこの新試験になっていたら.
ボクの出身大学にはきっと入れなかっただろうと思う。


ボクの英語は、社会人になってから砂漠の工事現場に閉じ込められて、死ぬ思いで身に着けたものだ。
それがなかったら多分、いまだにロクに話せも聞けもしないだろうからね。

田舎の貧乏人が、机上の勉強では決して手に入れられないんだ、この力は。


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posted by かのぴ~ at 22:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする