2019年10月04日

知らしむべからず由らしむべし

校則、学校の話が続いているけど、その続き。

1993年(平成5年)、当時の赤松文部大臣が、学校における丸刈りの強制について、「丸刈りは戦争中の兵隊を思い出しゾッとする」と発言した。

これ自体は後に撤回されたようだ。(ボクはこの発言に特に撤回すべき点があるとは思わないけど。だってそのまんまじゃない。従順な兵隊育成の象徴みたいなものだよ、丸坊主。)

けど、この辺りから各地の学校で丸刈りの強制がなくなっていったのは間違いない。
この時、ボクは中学生。

ボクの名前を冒用して、教師たちに請願しようとしていた生徒達は、決して独自に発想したのではなく、この世の中の流れを読んでいたともいえる。
彼らは、空気を読みつつ、保身を図りつつ、バランスをとった行動をとったわけだ。


実際問題、僕が中3の頃だろうか、頭髪は自由化された。

しかし、教師たちは解禁にあたって、いかに生徒に制約を課し続けるかに執心していたように見えた。
そして、そこに必死で理由をつけているようにさえ見えた。
教師という人種の、子どもの自由を制約する事に向ける情熱は一体何なんだろう。

櫛を持ち込むと、それで遊ぶとか。
整髪料をつけると、プールに入るとき水が汚れるとか。
派手な髪形は中学生らしくないとか。
おしゃれに気が向くと学習に差し障るとか。

どれもこれも理由としては今一つ。かなり無理やり理屈を後から持ってきたと思う。

大人の、それもそれなりの教養のある(と、当時は思っていた。教師という職への幻想だ。)人たちがなぜこんなにもバカバカしい理屈を持ち出してまで生徒を束縛したがるのか、理由が分からなかった。

だからボクは当時、何度か教師たちにいくつかのルールについて、それらがなぜ定まっているのか、聞いたことがあった。

すると教師たちは、奇妙なほどの防衛行動(?)に出たのだった。
ボクは、生徒指導室に連れていかれ、怖いと評判(?)の体育教師/生徒指導教師から質問攻めに遭うという羽目に陥った。

何故そんなことを聞くのか。
皆我慢してルールを守っている。ルールが嫌だというのはワガママ。
そんなに学校のルールがイヤならやめろ。
学校のルールのどこがおかしいというのか。
みんながルールを守らなかったらどうなるのか。秩序がなくなったら責任取れるのか。


教師達にとっては、ルールの根拠を聞くことは、ルールを守らないことやルールを変更しようとすることと同じくらいにタブーだったのだろうか。

ちなみに最後は親に苦情が行ったらしい。
直接聞いてはいないけれど、おおよそ、ボクは教師に反抗的な生徒であり、秩序を乱そうとしている、ということになったようだ。
もちろん最後には、内申をちらつかせて脅すことも忘れずに。


これはボクにとっては衝撃的なことだった。
大人は現状を守るために、ものすごく防衛的になるんだってことを学んだ。

おそらく、ルールの根拠や由来を聞いた段階で教師たちの頭の中でシナリオが出来上がっていたんじゃないかな。

ルールの由来を聞く、するとそのルールの根拠の薄弱さや必要性の弱さに気が付かれる。
或いはすでに生徒は根拠薄弱なことを知っていて、それを確認に来ているに違いない。

そして、その根拠や必要性の弱さを認めてしまうと、ルールを守らなくなる、もしくはルールの変更を要求してくるかもしれない。面倒なことになる、と。


そうした教師たちが、授業で「疑問を持つことが大切」な~んて言ってたりする。
なるほど。指導要領に従って教科書の言う通りに疑問を持たなきゃいけないんだね。・・矛盾してるが。

子どもには、現状の仕組みの範囲内でそれを破壊しない範囲で、しかも子どもらしい疑問を持つのって、至難の業だと思うんだけど。



今にして思えば、これはボクが法律に興味を持つようになったきっかけだったかもしれない。

ルールはどう決まり、どのように維持されるか。
その妥当性や再検証はどうやってなされなければいけないか。

法学というよりも法哲学だったり社会心理学なんかの分野に近いかもしれないけど。




中学の頃、もう一つルールの変更があった。
それは制帽の廃止。

最近は全然見かけないけど、ボクの板中学は当時、制帽があった。
通学時はこれを着用することが定まっていた。

実用性皆無で、夏は不快なだけの、冬は風で飛んでしまうだけの無用の長物。
当然、生徒の多くは制帽を被りたがらなかった。

ところが、その頃の中学の校長が、ずいぶん服装にこだわりがあるらしかった。
ある時、ボクが制帽を手に取って下校していると、通りかかった校長がわざわざ来るまで追いかけてきて、「おい!帽子かぶれ!」と突然怒鳴られたことがあった。

わざわざ遠くから(イナカなので何もなくて見通しが良いw)車で追いかけて、殆ど意味なんてない制服の帽子を被ってないことを改めさせることに何の意味があったのか。
ボクはわけが分からなかった。


それがどうしたきっかけか、丸刈り強制ルールの撤廃と同時期に、制帽が廃止された。
これについては経緯や理由は知らないんだけど。


教師たちの変わり方は衝撃だった。
朝、校門に立って半ば叩くようにして髪を掴んでやっていた長さチェックも。
被っていない生徒を見かけるや、車で追いかけ、怒鳴ってまで強制していた防止の着用指導も、きっぱりとなくなった。

そのルールを変えられる日までは、それをしないことが、非道徳的で、人格に問題があって、学校の場から排除すらされかねないかのように喧伝されていたのに。



あれほど、守らないなら出ていけ、無秩序になる、責任取れるのか、とまで言っていたルールがなくなったけど、今は無秩序か? みんな学校から消えるべきか? このせいでどんな問題が起きるか分からないけど、問題が起きたらだれか責任を取るのか?

もちろんボクはそんなこと教師に問うたりはしなかった。

だって、そんなこと言ったら、ルールがイヤなら出ていけ、無秩序になったら責任取れるのか、問われちゃうからね。

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posted by かのぴ~ at 00:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする