2019年04月17日

世界一冷たい国を支える自己責任論

ボクは自分を引きこもりと紙一重だと思っている。
(なお、ボクはコミュ障なので、引きこもりにはなれても、ニートにはなれないと思う。親や他人に頼ることができないから。)


引きこもるシナリオはいくらでも考えられる。

小学生の頃、いじめを苦にして引きこもったら。
それだけで学習は遅れ、連鎖するように、簡単に落ちこぼれていっただろう。

高校受験。中途半端な成績で受けた公立進学高校に落ちていたら?
それこそ挫折感とともに、モチベーション落として引きこもるか、地元のヤンキーの仲間入りか。いや、それすらできないだろうな。

大学受験。ダラダラしつつも偶然受かった国立に入れなかったら。
(親は私大進学などおそらく許さなかっただろう)

氷河期真っただ中の就職活動。
エントリーしまくり、落ちまくったあとで偶然拾ってもらえた会社がなかったら。その会社が、中小ブラックだったら。



考えてみると、ぞっとする。

「若い頃に戻りたい」なんて夢想を口にする人もいるようだけど、ボクはまっぴらごめんだ。

小学生くらいからやり直しなんてさせられたら、引きこもるか気が狂うか、犯罪者か・・としか想像できない。


今のボクは親と絶縁し、友達はなく、結婚もせず(しないのではなく、できない)、何の目的もなくただダラダラと死ぬまで生きるだけだけど、それでも相当に運が良かったのだと思う。

人と比べてではなく、自分自身のあり得た未来に比べて。

だからボクは安易な自己責任論には絶対に賛同できないのだ。



ボクは引きこもりや貧困について、「努力しない本人が悪い」、なんて単純な自己責任論を聞くとぞっとするし、それを気軽に口にする人を軽蔑する。

自己責任を口にする人が、何度やり直してもまともな社会生活を送れる能力を持つ人なのだろうか、疑問だ。

運の要素、環境の要素によって助けられているのでは、なんて程度の想像力もない人というのは、どちらかというと愚かで傲慢な人間であって、むしろ普通よりも落ちこぼれたり嫌悪される可能性の方が高いのではないか。

たまたままともな生活が営めてしまって、その偶々の結果を守りたいがために、結果は努力と因果関係があるに違いない、だから再分配なんかしなくて良いと主張しているだけのことではないか。

偶然要素の強い人ほど、公平な社会になられたら困るからね。
偶然、分不相応に手に入れた自分の取り分が減り、分不相応に冷遇された人にその利益が回るからね。

もしかしたら、その種の自己責任論者は必死に自分に言い聞かせているのかもしれない。
自分の今の生活は自分の努力によって正当に得られたものに違いない、って。

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posted by かのぴ~ at 01:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする