2019年04月07日

ニートができる人は優れている

社会人は人生の負け組だと思う。
日曜の夜に書くにはふさわしいテーマだな。

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経済の目的は財の配分とそれによる幸福だという。
でも、少なくとも日本の企業経営も経済政策も労働政策も、人の幸福を実現しようとはしていないよね。


人間は完全に企業経営のための手段に落ちてるし、単なるコストだ。

その行き過ぎを止めるための労働政策だってショボい。

労働者保護の恩恵をたっぷり受けて育った爺い経営者達は、自分が若い労働者に逆戻りすることが絶対に無いという安全な場所から、いかに労働力を安く買い叩くか、容易に捨てられるかばかりを考え、ついにはヤクザの口入のようなマネまで合法化したし、最近では外国人奴隷の輸入に熱心だ。

働く"駒"である個人にだって責任はある。

多くは何も考えていないのだ。

何のために働くか。
どうなっていれば満足するのか。

ただ、働かなきゃいけない気がするから働いているだけじゃないか?


労働者の中でも上等な部類の連中(主にホワイトカラー)はなお悪質だ。

会社の人事制度が、劣等感や優越感を煽って、効率よく労働力を搾り出すためのものだってことくらい分かっているだろう。
他人を出し抜き、すっかり数の減った絞り取る側になろうと、あえてそれに乗っているのだ。

奴隷が、奴隷の中の地位を上げる為に競って従順なフリをする。
振り落とされた奴隷や次世代の奴隷達は、更なる劣悪な環境で従順さを試されることになるだろう、

馬鹿馬鹿しい。


ボクは共産主義者かって?

資本主義も共産主義も同じことだ。
生産手段を誰が持つかというだけで、人間を生産の駒としか見ていない点で同じことだ。



誰もが思ったことがあるはずだ。

そうまでして発展させなきゃいけない経済って何なのか。

ちっとも幸福になっていかないじゃないか、と。

経済は成長し続けなきゃいけないのか。それは何のためか。



日本で働くことは、そうした誰かさん(もちろん個人ではない)の思惑に絡め取られることだということに気づいたのがニートなんじゃないかな。

労働は個人の幸福には決してつながらないということ。
それどころか、他者と不幸を競い合い、一緒に落ちていくだけなんじゃないかということ。

その選択は、私のような無目的に競争させられる社畜よりよほど冷静で、倫理的なんじゃないか。
そして、近視眼的なカネを求めて誰かを不幸にする循環から抜け出す勇気ある選択をしているんじゃないか。



だからボクはニートでも良いと思う。

生活保護でもBIでも良いから、そういう人の存在を許容すべきだと思う。


ボクはニートになれなかった。
不安で仕方ない。誰かを蹴落とそうとも、職を持ち、生存を確保したかった。

生きてたってクソの意味もないことがわかりながら。

こんなクソが生きていく為に、世の中の誰かの生存を危険に晒しているのだとしたら・・と思うとちょっと鬱になる。


日本から降りたい。
posted by かのぴ~ at 00:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする