2019年04月06日

人生は死ぬまでの余暇

100歳を超えて、老衰で死ぬ人も、生後すぐに死ぬ人も、その意味も価値も変わりは無い。

そもそも意味も価値もないから。


生まれる前の過去には無限に遡れるし、死んだ後の未来の時間も永遠に続く。

人生は、無限の無の中にぽつりと現れた有。
無限の時間の中の100年も数秒も変わりは無い。

そもそも時間という概念は幻想だとか、ビッグバン以前には虚数時間が~などというのは却下だ。
数学理論は別として、人間の感覚として理解や実感ができないから。


人生の中で何かを成し遂げたとしても、自身は必ず無に還る。
その成果として残ったものは、宇宙とともにすぐに形もなく消え去る。

人生は本質的に無意味で、価値などない。

そもそも、「意味」とか「価値」という概念自体、人間が勝手に作り出した観念だ。
人間がなにを考えようと、作り出そうと、現実はただ粛々と時を刻み滅びに向かう。


だからボクは精神を病もうが、働かなかろうが、人からどんな謗りを受けようが良いと思う。
たまたま世に現れたときにその入れ物になった身体が、脳が、たまたま生まれた時期の社会に適応できていなかったというだけのことだ。



精神的引きこもり、ニート、ダメ人間のみんなへ。
気にするなどうせすぐ死ぬ。
ダラダラ行こうぜ。
俺達が傷つけ、負担をかけた人(親とか・・)たちもどうせすぐ死ぬ。


イキってる成功者へ。
良かったな。まぁ意味ないけどな。
せいぜい残り少ない生をそのカネと容姿とご立派な性格で楽しんだら良いだろう。
失うのが怖いか?ざまぁみやがれ。



道徳や倫理にも、やっぱり意味は無い。
けれど、自然法則は最後の最後で優しく平等だ。最後は無に還るのだから。


そうすると、人生って結局、たまたま現れたゼロに等しい「有」に何するかだよね。

どうせ消えるんだから、ダラダラしてようぜ、ってのも別段かまわないだろう。
楽しむ為にガツガツ働いて、楽しむ余裕がなくなるバカも居て良いだろう。

所詮はたまたま手にした余暇だ。

posted by かのぴ~ at 13:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする