2019年04月03日

風呂というコンプレックスを趣味に昇華する

ボクは風呂、入浴という行為に特別な感情を持っている。

風呂といっても別に怪しい方のではなく、Bath。

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実家を出るまで、ボクはお風呂に毎日は入れなかった。
お金が無い・・わけではなかったはずだけど、節約が好き、いやカネが好きな家族達によって、お風呂が沸かされなかったから。

1990年代後半の話。もちろん当時でもそれは一般的な話ではない。


いや、別に風呂に限った話ではない。

私の生家で「すき焼き」といったら、いわゆる「すき煮」で豚肉だったり煮込んであったりする。
牛脂を引いて、牛肉を焼きタレをかける「すき焼き」なんて知らず、大人になって酷く恥をかいたものだ。

こんなのはほんの一例だ。

ちょっと話はずれるが、ボクの生家はとかくケチな上、それをよく言えば情報の遮断、悪く言えば嘘で騙すことで糊塗するのが常道だった。
家で言う「これが普通」は、何一つ普通ではなかった。

ある程度世間を知ったあと、家庭経営の不合理をごまかす為にいずれバレるような嘘をつくのはやめたらどうか、と話したことがあった。

母親はこう嘯いた。

「今はホンモノを知ることができたんだから良かったじゃない。」

騙していたことがばれなければそれでOK、ばれたらばれたで、それは世間をきちんと知れたんだから良かった。というわけだ。
その世間を知る過程で、どんな恥をかかされたか、どんな偏見を受けてきたかなど全く意に介さない態度に、ボクは逆上しそうだったよ。

もっとも、相手はなにを言っても決して他人の言うことなど心に届かない人間なわけで、馬鹿馬鹿しくて放置したけれど。



その一方で、子どもに恩を着せること、義務を課すことにかけては、誇張が激しかった。

当然のように、世間一般水準以上を要求してきたし、世間体を異常に気にしていた。
姉が、あまり良い進学先にいけなかったときに、母親が言った一言は今でも忘れない。

「恥ずかしい」。

母親は良い教育を受けられないことではなく、世間体を理由に失敗を詰ったのだった。


母親の要求を最大限受け入れ、学費の安い国立大学のみを受験したボクに、母親は恩着せがましく、学費に年100万円も払ってやった」と口にした。国立大学の学費は年50万円もない時代にだ。

自分の利益、恩を着せるためには相場も現実も無視して、「盛る」のだ。



話を戻そう。

ボクはフロに入ることに飢えていた。

部活動や体育の授業、遊んだりして汗をかいても、風呂に入れないで布団に入ることは、慣れたとはいえコンプレックスだったし、ある程度の年齢になったらそれは非常にセンシティブな問題だ。

ボクはその頃の感覚が今も抜けない。



大学に入って、一人暮らしをするようになってから、ボクは毎日、朝夜にお風呂に入るようになった。

そして分かったのは、別にそんなことをしても家計にかかるコストは、全く問題視するような規模じゃないということ。


家族、家というのは、こんなに些細なことでそこで育つ子どもに大きな影響を与えることができるのか。
その動機はほんの少しの節約。



大学進学を機に、家を出られたことは本当にボクにとって幸運だった。


ボクはいまだに、フロというものに特別な感覚を持っている。
お風呂にコストをかけることを積極的にしたいとも思う。


都内には銭湯がたくさんあるんで、しらみつぶしに回っている。
首都圏の温泉も良く出かける。


自分のお金と意思で、自由にお風呂に入れること。


鬱屈としたボクの生活の中の癒しが、その鬱屈を作る原因に由来する。皮肉なものだ。
posted by かのぴ~ at 22:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする