2019年03月31日

母親の話

父親の次は母親のことを書いておこう。

ボクはいつも母親の行動から、何か演技のようなものを感じ取っていた。

どんなに発言も行動も、どこか作為的なものを感じて、薄っぺらくて、演技しているように見えた。

なぜそう思うようになったのか、もう思い出せない。

数々の行動からそう思うようになったんだと思うけどもう一つ、自分自身があらゆることに真剣になれないから、それは他者も同じに違いないと思ってしまうという要素もあるような気がする。

自身のあらゆることへの他人事感を、母親に投影していただけかもしれない。

もしかしたら母親が見せる感情的な行動が、実際に本心から出たものだったのかもしれない。
でもボクにはそうはどうしても思えなかった。


だから、母親がなにを言ってもボクがそれを額面どおりに受け取ることは無かったし、今でもそれは同じだ。

きっと母親は私のことを心配しているとか、幸せになってほしいとか言うだろう。
けどやっぱりそれは信じられない。

平気でボクが傷つく言葉を口にするし、音信不通になった今でも、連絡を試みることもしないのは、やっぱりそうした家族に向けるべき感情は、そうあるべきだからそう思うようにしているだけであって、本当にそう感じているわけではないからだと思う。


ボクは母親が嫌いで、死ぬまでもう顔を合わせないつもりだ。
しかし、同時に最も母親に似ているとも思う。


母親は高卒で就職した。
大学にいきたかったようだけれど、叶わなかったようだ。
高校はそこそこの(と言っても全国レベルではない)進学校に行っていたようで、地元の国立大学(いわゆる「駅弁大学」というやつだ)を希望していたが、受からなかった。

そして、貧乏だったためかそのまま進学を諦めて就職したそうだ。


それがおそらく母親に一生ついて回るコンプレックスだろう。
高校ではほどほどの成績だったようだが、滑り止めも受けられず浪人もできなかったことをずいぶん悔やんでいるようだ。

高校での成績が良かったことからプライドを、大学に行っていないことからのコンプレックスを抱えて、父親には無学を謗り、周囲には学歴に関して卑屈だった。

そしてその頭のよさを誇示しようと必死になっていたように思う。

家で、いかに職場において自身が優秀か、その割りに不当な評価を受けているかを、父親や身も知らない母親の同僚への軽蔑とともに頻繁に語っていた。

「優しい」(カッコつきの「優しい」である)父親はそれを静かに聞き流していた。
ボクは幼少の頃はそれを素直に聞き、ある程度のこと頃に来て、「おそらく母親の程度が低いことは周囲に見透かされている」と考えるようになった。


そんな母親の姿は、今の自分自身の状況と似ていないか、今でも考えることがある。

浅い人間だった。
そして自分も同じような気がする。

posted by かのぴ~ at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

父親の話

私の父親は、いわゆる入婿というやつだ。

母親の生家からは、地域の中心となる地方都市を挟んだ向かい側にある、また別の田舎の出身だった。


両親がどう知り合ったのかは知らない。
お見合いか何かだろう。

どうでも良い。
けれど、おそらく必ずしも両者が本気で納得して結婚したようには見えない。
昔はそうではなかったのかもしれないけど、二人が本当に納得して結婚をしようとする姿が全く想像できない。

父親は、母親の生家である狭い家に入り、いつも何かに遠慮して、怖がっているようだった。


祖母にはまず口答えなどすることもなかったし母親とも言い争っても、すぐに家が母親達のものであることを盾にした権力に容易に屈していた。

そもそも父親はあまり頭が良くない。
口げんかで臨機応変に戦うことはできないし、論理的に事実を積み上げて結論に導くこともできなかった。

父親自身が、家族の諍いにあたってどうなっていれば満足かという決着点自体を持っていなかったように思う。


父親の仕事も良く分からない。
建設資材や機械部品か何かの卸会社のようなところだと思う。

現場でフォーク動かしたり、配送したり、そんなことをしていたようだ。
一回だけ、父親の休日出勤に付き合って、小型トラックに乗せてもらったことがあった気がする。
トラックに乗るのは楽しかったけど、それだけしか覚えていない。

給料の額は知らないが、母親からは「安い」、「私(母親)のほうが高い」ということだけは聞いていた。
そんなことを子どもに話すこと自体どうなのかと思うけど。


そんな状況もあって、父親はよく仕事が休みの週末「働け」といわれていた。

肉体労働の平日を省みないで、合理的な収入がおよそ期待できない畑仕事を要求する祖母や母親に、不満そうではあったけれどそれでも従っていた。

かといってボクは全面的に父親に味方したいとも思わなかった。

父親は別段何か趣味があるわけでもない。(趣味なんて持たせてもらえなかっただろう)
いわれなければごろ寝して一日中テレビを見ている、そんな人だった。
それは趣味も遊びも何もさせてもらえずふてくされているようでもあった。


ボクはどちらにも同調できなかった。

中卒で頭が良くないこと、収入が良くないことをことあるごとに持ち出して貶める母親や祖母にも。
教養も趣味も無く、感情を押し込めて反抗することも滅多になく、言われなければなにをすることもなく漫然と過ごす父親も。

そして、そうした人たちが距離感を保つことができない狭くて乱雑な家も。



父親は、ボクに対してたまに「勉強しろ」と言った。
母親はもっと頻繁に言った。

けど、おそらく父親は「勉強」が何かを全く理解していなかったと思う。
そしてその必要性も、意味も自分自身解っていなかったと思う。

父親がボクに勉強を教えてくれた記憶は殆ど無い。
単に母親や祖母に言えといわれて言ったんだろう。


だからボクは「勉強」と言われてするべきことが良く分からなかった。
そういえば欲しくもないのに親が気まぐれで買ってくる問題集みたいなものをやってたかな。

思えば全くもったいない時間を過ごしたものだ。


文学や映画、音楽の名作に触れておくべきだったと思う。
ボクにはそういった根本的な教養が足りないのだ。

人のせいにする問題ではないかもしれないけど、この根本的な教養の無さは父親の無学と、母親のきわめて狭い「勉強」観念の由来するのだと思う。


父親はいつも曖昧な態度で人に従うことで自分を守っていたと思う。

時に人に「優しい」と評されるが、単に自分を守る為に、対立を避けることの対価として、自身を不自由にしているだけだ。
そのくせ守りたい自分も曖昧で、ほとんど意思のようなものを感じなかった。

今、40台になった自分の行動がこのときの父親と本当に似ていると思う。
それが気持ち悪くて、死にたくなってくる。


今父親は70台。

今日も多分、ぼんやりとTVを眺めてなにをすることもなく過ごしているだろう。

もう何年も話していないから知らないけれど。

posted by かのぴ~ at 12:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月28日

職業生活の話(1)

ダメ人間ブログには、必ず職業や収入についての話題がついて回る。


たいていダメ人間、クズ、カス、ニート、引きこもりは無職だったりフリーターだったりする。


実家で親にカネもらってたりね。



けれど、人がクズであることに、収入や職業は関係ないと思う。


ボクの場合、それなりの職があって、氷河期世代としては例外的にマトモな収入があるけれど、それは少しもクズではないことに寄与しないと思う。



だから、この記事はもしかしたらその手のステレオタイプ的クズを求める読者からは好まれないかもしれない。

しかし事実は事実だ。


うそをついて、引きこもりニートだと言って見ても、リアリティが無いだろう。

ボクは引きこもる人の気持ちが良くわかるし、自分もそれに近い性質の人間だとは思うけど、それでも経験してもいないことをさも自分の体験のように書きたくはない。


だから事実をそのまま思い出せるだけ書こうと思う。



ボクが大学を卒業したのは2000年前後。

史上最低の就職率だったあたりだ。



地方国立大学を卒業したボクは、運良く都内の重厚長大産業の典型みたいな伝統企業の事務系職種として就職した。


事務所は都心だったが、独身寮が隣県で、通勤に1時間半もかかる。

寮と言ってもさすがに個室だけど、トイレフロ共同、食堂つきの若干時代錯誤感のある寮だった。



海外なんて一歩も出たことの無いボクが突然国際事業部門に入れられ、わかりもしない英文ライティングやら交渉やらを経験して、なんだかんだで社会人として生きていく基礎・・というか、仕事の専門性の基盤のようなものをここで取得したと思う。



同期には、東大、京大出身者は普通にいたし、外交官の子息やら財閥系企業の役員の関係者やら、全く育った世界の違う明るくて、機転が利いて、コミュニケーション能力に長けた人たちがたくさん居た。


当然、同期の中でボクの存在感はゼロに等しかった。



ボクがこの会社を4年ほどで辞めたとき、ボクに声をかける同期は少なかった。

例外で国際営業系の同期は一言二言、何か言っていたかな。



ここを辞めた理由は、今にして思えば大したことはなかったのかもしれないけれど、職場の人間関係をリセットしたかったこと、大企業の割には福利厚生がいまひとつだったことくらいだろうか。



職場の人間関係と言うけれど、別に悪かったわけでもないような気はする。

単純にボクが人見知りなうえ、自覚無く人の神経を逆なでするところがあったからだと思う。


ボクはどうも、空気が読めないと言うか、冗談を冗談と認識させられないまま無神経なことを言う、そんなところがあるようで、上司に酷く不快な思いをさせたことがあったようだ。


あったようだ、というのは言われるまでボク自身が気がつかないから。



そんなに攻撃的なのに(自覚は無いが)、自分自身は酷く打たれ弱く、上司に「そういう物言いが、時々いろんなところでカチンカチンとくるんだよね」なんていわれて、酷くショックを受けたものだ。

それを言われた日は確かマトモに食事もできなかった記憶がある。


とはいってもそれで反省したわけでもなく、ボクの行動は変わらなかった。

ショックを受けたのも、食事がのどを通らなかったのも事実だけど、翌日には平気な顔して会社に出ていたし、とかくボクは何事にも本気で自分を変えることができない、してこなかったんだと思う。


それから、先輩にある種の「冗談の通じなさ」に叱られたこともあったかな。

(先輩としては)冗談で、「こういう技術と装置がある」なんて話を聞いた後、ネットで調べて「それ、怪しいですよ」って情報と一緒にメールをしておいた。そしたらその先輩が返信で、「あれは冗談で言ったものです。 それをいちいち調べて教えてくるとか、そういうところがよくない。」と。


「よくない」だったか、「鬱陶しい」だったか、「イラつく」だったか・・正確には覚えていないけど、ともあれそんな返信を受け取ったボクは、これまた落ち込んだ。



なんてことが積み重なって、おそらく周囲には空気読めないヤツという評価が広がっていたことだろう。

それもボクがそう思っているだけかもしれないけど。



最初に勤めた会社は有名大企業ではあったけれど、長期的な停滞にあった。

そもそも日本の重厚長大系産業全体、大きな成長は見込めないことは周知の事実だった。



そこで、ボクはすべてをリセットした。転職することで。


幸いにも、ボクにはスキルがあった。

海外経験が学生時代には全く無かったとは思えないレベルで英文の読み書きはできるようになっていた。

TOEICの点数は学生試合の600点台から退職することは800点代後半にまで伸びていた。



送別会で、ボクは涙ながらに別れを告げた。


みんながんばっているところに、誰よりも早く去ってしまいます、すみません。 なんて。



でも、その実何も泣くようなことじゃない。

ボクは自分の行動でその評価を受け、周囲に疎まれ、自分自身で判断して去ったのだ。


そしてボク自身それをさして悪いこととは思っていなかった。

一度就職したら一生同じ会社、という伝統的な価値観が、多少ボクに罪悪感を覚えさせてはいたけれど。



平気でそういう演技ができてしまうあたり、何と言うかボクは一種のサイコパスなのかもしれないな、と自嘲した。



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posted by かのぴ~ at 16:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする