2019年09月21日

どんどん醜くなっていく感じ

ここ数ヶ月で、なんだか急激に醜くなっていっている気がする。
00083f19.png
髭を剃っても剃りきれなくて、いつも顔のどこかが中途半端に伸びたひげがつんつん出てる。
顔色がいつも良くない。

いつもなにかこう、病み上がりだったり、寝起きだったりするような印象を人に与えているだろうな、と思う。
何かこう、だらしない感じが外観にありありと出ている気がする。

単純に歳をとったということなんだろうか。
普通は年齢を重ねると、落ち着きが出たり、思慮深そうに見えたりするんだろうけど・・全然そんなおっさんになれてない。

幸い(?)ボクは間接部門で、取引先の印象がどうとか言うことはあんまりない。
いまさら女にモテ用なんてキモ起きない。

もともとブサイクだったことは変わりはしないし、そんなこととっくに割り切っていたつもりなんだけど・・それでも自分の外見が醜くなっていくことに不安のような、焦りのような、暗い気分になるのはなぜだろう。

老いることへの恐れ?
外見で(更に)損をしそうなことへの不安?
それとも・・・外見についての捨てきれていなかった未練か。

どれもこれも、決して認めたくない感情だな。


にほんブログ村 その他日記ブログ 社会不適合者日記へ
にほんブログ村
posted by かのぴ~ at 00:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月19日

「やる気がないなら帰れ」の気持ち悪さ

今日仕事中、部下(20くらい年上の・・)の仕事の進捗を確認してたんだけど・・・全然ダメなの。

で、やんわりと、「じゃぁもう私がやりますから、この仕事はもうやらなくて結構です。」と伝える。
で、何時間か経ってからふと気がついた。

あれ? これって相手に対して懲戒的な意味に取られてるかもしれないぞ、と。

ボクはもちろん、別に叱る意図で仕事をしなくて良いといったわけではない。

その人に任せてたら終わらないし、終わっても品質が悪く、効率が悪いから、自分でやることにしたというだけだ。
でも、日本ではそれが叱責を意味することがあるってことを思い出したんだ。

cb33bf6d.png


こういうときコミュ障はダメだよな。
こういうこと言ったらどういう意味に取られるか、なんて思い至らないんだよ。

言葉は論理。
文章から取得できる意味は単一であるべきだと思うし、そうでなければ言葉として機能しない。
ボクはその前提で日本語を使っている。


仕事の配分を考え直して、その人がその仕事をやる必要がなくなったら、「もうやらなくて良い」。
その人にどうしてもやらせる必要があるならば、「早くやれ。」だ。
もちろん、何かに詰まっているようなら、「何が仕事の妨げになっているか?」、「どうしたらそれを除去できるか?」、「それは自分でできるか、上司(つまりボク)の行動が必要か?」と聞く。
部下の残業時間を増やしたくないし、新たに与える仕事もないなら「もう帰れ」。
やりたいならやってもらう仕事もあるけど別にその人が必須じゃなければ「好きにして良いよ」。

それで良いじゃない。
これらに良い意味も悪い意味も込めていないでしょう?

・・・でも、日本では、これらは悪意に取られたらパワハラになりかねないんだよな。



日本語のコミュニケーションはやっぱり気持ち悪い。

駐在してた頃の部下達だったら、「もうやらなくて良いよ」って言ったら、素直にその通りに理解してくれる。
「帰れよ」なんていわなくても、それで仕事がはけたら、「OKボス!じゃぁ今日は帰るよ!!」みたいな感じで去っていく。

うん、やっぱりコミュ障なヤツは日本に居るべきじゃないと思うな。

ちなみに、駐在中、同じように帰ろうとする現地人に説教しようとした駐在員の同僚が居たんだ。

「帰る、じゃないだろう。帰る前に、"何か他にできることはありませんか?"くらい聞け! みんな仕事まだしてるだろう!」
な~んて。
ワーカホリックと履き違えた勤勉さに染まったバカ(=日本における正常な常識人)だよね、要するに。(個人的にはその彼は良くゴルフしてたりして仲が良かったんだけど)

彼は完全に現地人に軽くあしらわれたけど。

「ボクのJob Descriptionにないことならしません。もしボクの仕事の範囲の業務があるならなぜもっと早く指示を出さないんです?」

・・超尤もだ。
その通りだよ。



実は、ボクがこの「帰れ」に籠もった悪意に気がついたのって、わりと最近なんだ。30代後半。

理解したからってそれを認めて納得したわけじゃないし、やっぱり今日みたいに、いまだにその慣習に溶け込めていないことにふと気付いたりするんだけども。


ボクの解釈はこうだ。

「やる気がないなら帰れ」と言う側は、相手が帰らないだろう、ということを見越して言ってる。相手が帰らないように、「やる気がないなら」という留保をつけて予防線を張っておく。
帰ってしまったら相手は「やる気がありません」と認めることになってしまうから、帰らないはずなのだ。

でもそのくせ、では帰らない場合はどうすれば良いかは決して自分からは語らないんだ。
相手に"自発的に"何をするか言わせたいから。
果たして、指示してやらされてるわけじゃない、相手が自分で選択し宣言したから付き合ってやってる、という優位性を手に入れる。
オレの言うこと聞くって言ったよな、と。


相手に事実上選択の余地を与えないのに、あたかも自分の意思で選択したような体裁をとらせ、責任を回避しつつ意のままに動かそうって発想が実にクズだと思うんだけど・・・どうだろう、ボクの解釈はあっているんだろうか?

それとも単に自分のクズさを相手に投影しているだけで、「やる気がないなら帰れ」にはもっと崇高で純粋な意思がこもっているんだろうか。


どっちにしても、ボクはコミュ障で、真意は分からなかったし、もしかしたら今も分かってないかもしれないんだけど。

もし、ボクの理解が正しくて。
もし、ボクの今日の指示が、そういう卑劣な物言いと同じ理解をされていたとすると。

死にたくなってくる。


にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ
にほんブログ村
posted by かのぴ~ at 00:09| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月16日

3連休を寝て過ごすのはセルフネグレクトか

世間は三連休。
0049c05a04051dfba1097a151908a524.png
ボクは特にすることもなく、金曜の夜から寝っぱなし。
土曜の夜、さすがに寝過ぎて腰が痛くなってきたので、回復のためにランニングに出かけて15kmほど走り・・そしてまた寝る。


次に目が醒めたのは日曜の早朝?日曜の夜?

良く分からないけど、寝汗をかいたので洗濯機に服を放り込み、シャワーを浴びてネットを徘徊しつつ洗濯の完了を待ち・・また寝る。

つまらない。

何をやってもつまらないし、何にも興味を持てない。
こんなこと、今までなかった気がするんだよなぁ・・三連休もあればバイクでも電車でもバスでも乗って、遠出してたと思うんだけど。


ともあれ、今再び目が醒めて調べると・・月曜の夜なんだな。
もう三連休おしまい。

何もしたくなくて、その欲求に従って寝てただけなのに・・・希望通りなのに、なぜか連休が終わると後悔が残るのは何なのか。

多分、欲求がないこと自体に不満なんだと思う。

ボクの欲求は、欲求を持ちたいという欲求。
性欲でも、食欲でも良い。萌えるような欲求が欲しい。・・あ、いや、燃えるような、だった。



欲求って、人が生きるための原動力なんだと思うね。
それがなくなると、もうただ時間を過ごすしかなくなってしまうんだ。


で、ふと思ったんだけど、セルフネグレクトってこういう事なんかね。
自分のために栄養を取るとか、何かを得るとか、そういう発想がなくなって、ただただ時間を過ごす。

最後にあるのは、後悔なんだか羞恥だか罪悪感だか分からない退廃的な感じ。

なんだか・・生きてること自体に罪悪感を覚えるようになってくるんだな。

鬱期が来そうだが・・・明日から会社なんだよなぁ。

にほんブログ村 その他日記ブログ 社会不適合者日記へ
にほんブログ村
posted by かのぴ~ at 20:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月14日

6インチを通して見る世界

最近は電車乗ってると、乗客の9割がたスマホ画面に向かってるよね。
train_densya_smartphone.png


陰キャ的にはこれは良いことだと思ってた。仲間が増えた、と。


ネット黎明期、1997年あたりからネット漬けなボクにしてみれば、世の人々がネットに浸かる状態になった今、ようやく世間がキモヲタに追いついた感がある。

それに、変な行動(混雑時に無理なポジション確保しようとしたり)を取る人も画面見ていると若干おとなしくなるようだし。
スマホ子育てとか言って揶揄されてるけど、迷惑なおっさんさえ大人しくなるんだから、子育てくらい別にいいよね・・(笑



最近では電車を降りた後、駅を歩いている最中もスマホ画面見てたりする。
下手すると、移動の時間の殆どを画面を見て過ごしているんじゃないかな。


そんなにずっと、何を見ることがあるんだろう・・と思って、近くの人のスマホ画面を覗いててみると・・(キモい行動だな・・)大体ゲーム、ニュース、SNS、動画見てる人。

そうか・・エロゲーとかじゃないし、保存した画像見る、みたいに一人の世界に閉じこもってるってわけでもないんだな。
最近じゃゲームも通信機能使って誰かと一緒、誰かと競うってのが当たり前になってるみたいだし。


世界は広いのに、たった数インチの画面にばかり向かってて良いのか?・・みたいな言説も見かけるけど、彼らは小さな画面に向かいつつ、いろんな人と繋がってるわけだ。


画面に向かって自分の殻に閉じこもる人が増えた、仲間ができた、自分の行動様式が一般的になった・・な~んて思ったんだけど、ぬか喜びだったようだ。


ちなみに、女性のほうが圧倒的にコミュニケーションに使っている率が高い。
たいていLINEとかTwitterとかFacebookとか。

男は、イカついおっさんでも萌えゲーしてたりする。

やっぱ男のほうが、精神的にひきこもり傾向にあるんだろうな。


にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ
にほんブログ村
posted by かのぴ~ at 14:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

奴隷のエクスキューズ


煽り運転流行ってるんだってねぇ。
この話題になるとすぐに、煽られる側の非を問おうとする声が挙がってくることに、ボクは恐怖する。

このケースでは、ついには逮捕された当人までそんなこと言い始めちゃったという。
aor.JPG
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190911-00000010-ann-soci


「追い越し車線をダラダラと走っているのが悪い」だとか「追いつかれた車が車線を譲らないのが悪い」あたりが典型だろうか。
「煽られるような行為をしている方も罰しろ」なんて発想さえ出てくるからおそれ入る。
(ちなみに「煽られるような行為」が交通違反なら当然捕まるし切符切られる。走行車線ずっと走れば通行帯違反だし、ウインカー出さなければ合図不履行だ。)

空気が読めないコミュ障のボクは、日本におけるあおり運転の扱われ方に、迫害・・もっとはっきり言えば、いじめがなくならない日本社会の根っこのようなものを感じる。


■あおられる側の原因 ~空気読めないことの悪~

あおり運転の原因なんて実にショボい。
「道塞いだ」、「急に進路変更した」、「ウインカー出さなかった」。

時に原因は、むしろ真面目で適法な運転であることさえある。
ゆっくり走ることなんてのはその例だろう。

たまに「ダラダラ走る」なんて言い方されることもあるけど、これなんて典型的だよね。
法規に沿って制限速度を守ることを「ダラダラ」と表現するわけだ。

「流れに乗る」ことや「円滑である」ことが、安全の為に設けられた法規よりも上で、それを乱すのは「流れ」が読めていない悪いことで、違法な脅迫行為であるあおり運転と対置され、比較される対象になりうるのだ。

いじめ(犯罪)を正当化する、いじめっ子や傍観者の論理そのままだと思う。
それ、比べるようなことか?


■あおり運転は原因行為への"対処" ~強い者が取る被害者ポジション~

「道塞いだ」、「急に進路変更した」、「ウインカー出さなかった」というのも犯罪だろう、と思うかもしれないね。

でもね、原因行動が違法だったとしても、それを罰する権利なんか個人にはないんだ。
あおり運転を誘発する違法な原因行動と比較され、評価され、場合によっては正当化されるのは避難方法や回避方法だろう。
間違っても報復としてのあおり運転とを比較してよいわけがない。

これもいじめと一緒。

いじめられる側の行為によって何らかの被害を受けたのならば、すべきことは補償を求める事や、行為を止めさせることだ。
いじめによって攻撃することじゃない。

明らかにバランスを失しているのに、危険性も反社会性も全然違う行為を原因や正当化の為に持ち出す。
それは単に、被害者ポジションを取って攻撃したいだけなんじゃないか。


■処罰できるのは誰か ~近代社会の否定~

どんな行為が"悪い"と評価されるのか。
"悪い"事への責任は、どんな場合に負うか。
その判断が事実に基づくことをどうやって保証するのか。
サンクションはどの程度の、どんな方法が妥当か。
サンクションを実現するのは誰か。

国家権力がやるにしたって、慎重に慎重を重ねて吟味されなきゃいけない。
それを個人がその場で実現しようなんて発想自体、言い訳無用の悪だ。
こんなものは、中学生レベルの近代国家の基本中の基本だと思うんだけど。

この慎重な取り組みをぶち壊すような、報復される側の是非を問う発想はまるで未開国家だ。
なぜか日本ではそれが普通に語られてしまう。

いじめられる側にも原因はある、なんて。
あおられる側にも原因がある、って。

もう日本って未開社会だと認めた方が良いんじゃないのか。


■建前 ~奴隷のエクスキューズ

この手の「あおられる方にも原因」、「いじめられる側も悪い」って類の言説には必ずと言っていいほど言い訳が付いてくる。

「あおり運転は悪いが」とか、「煽り運転を擁護するつもりはないが」。
「しかし、〇〇なのも事実。」

エクスキューズを前置きすることはぬかりなくした上で、あおり運転の正当化だったり、あおり運転をする側の責任を少しでも小さく見積もろうと頑張る人たちが大量に出てくる。

実にいじめの正当化と似ている。
「確かにいじめは悪いことだが~」ってね。


もちろん、問題ある行動に対して、一方的な意見しか言うべきではないとまでは思わない。
行為の悪質さがアンバランスな時でも、悪質な方を擁護する考え方があっても良いと思う。

例えば犯罪者や、ボクらみたいなロクデナシの様々な問題行為を個人の責任に押し込めて追及してもあんまり効果はないから、そういうクズを量産した社会構造やそれを防げなかった政治の責任を問うことだってあって良いはずだ。
そのほうがより効率的に問題を解決できるのならば。

豊かさと犯罪率と明確な相関関係がある以上、犯罪をしなくても済むような状況を作ることは政治の役割だろう。
その運営を誤ったのならば検証されるべきだし批判もされるべきだろう。

そんなときの為に、「確かに無職ニートは問題がある、しかし。」というエクスキューズは、批判精神のためには是非とも必要だと思う。

間違いなく、ボクがロクデナシなのは、ボク自身の性格、努力の不足、能力の不足といった要素に由来する。
というか、一人でも成功したものが居る限り、残りの2千万人(氷河期世代がこのくらい)に対して、お前の努力が足りない、能力が足りない、と言えてしまう。「頑張って成功した奴は居る」ってね。

でも、それは確かにそうだけど、他に問えばより効果的なものがある。より効果的に対応できるものがあるならば、あえてそちらに責任を要求することはあって良い筈だ。


けど日本ではどうだ?
「〇〇は確かに悪いがしかし~」、「しかし〇〇なのも事実」と言った後で擁護されるのはむしろ権力を持った側。
攻撃されるのは弱い方。こればっか。

犯罪被害者に。
いじめられた側に。
災害被災者に。
病人に。
障がい者に。

飼いならされた奴隷が、更に弱いものを叩くために、一応解ってるよ、というエクスキューズをするためにばかり使われる、「確かに悪いがしかし~」。

実に醜く醜悪な、奴隷のエクスキューズだ。



にほんブログ村 その他日記ブログ 社会不適合者日記へ
にほんブログ村
posted by かのぴ~ at 23:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月11日

オカルトを怖がる陰キャ

ボクは超常現象やら心霊やら、オカルト関連には否定的だ。

占いはもちろん、一見科学的な風を装ってされる俗説の類も避けたい。
血液型性格分類とかね。

ましてや似非科学の類なんて、堂々と口にする人の知能を疑ってしまう。

これらが不合理であったり、事実ではないことをここで語る必要はないだろう。
というか、どんな場においても、語る必要はない。無駄だ。

根拠が無かったり、根拠の確認のしようも無いことに対する議論や意見に意味はないし、再現性や批判可能性のない理論なんておよそどんな僅かなリソース(時間やお金)もかける価値がない。

それはいいとして、これらが実際に話題になった時、コミュ障&陰キャなボクがどうしているか。
これが問題なんだ。


会社で、業務に絡む中でそういう話題になった場合は楽だ。
誰がどんな理屈で正当化しようが、現実に結果として実現しないんだからは最初から話にならない。

そもそも似非科学やオカルトの類は、普通は業務上の話題にもならないんだけどね。
メーカーだし。科学と実証性なくして会社は成り立たない。


余談だけど、そういう意味では、「マイナスイオン」を銘打った商品を出しちゃった大手家電メーカーとかスゴいな。
「水素水」出しちゃった某大手飲料メーカーも。

ガバナンス、全く利いてないんじゃないか心配になるな。
いや、コンプライアンス体制か。

まぁ、家電とか食品類は「気がする」程度でも良いのかもしれないけどね。


で、そういう雰囲気とノリの業界ではないまともな(?)種類の製造業に勤めているボクには、その種のオカルト話は無縁かっていうと、それがそうでもないんだ。

さすがに業務内ではない(と思う)けど、業務外で話題に出ることはある。


「〇〇さんはA型だから~」とか。
「●●さんA型? 私B型だから相性が~」とかね。

「XXさん星座は何座? へぇ~ロマンチストなんだ!」


ボクはこういう話題の真意が全くつかめない。

この人達は本気でこんなことを言っているのか。

メーカーで、材料、素材工学なんかの基礎系から、時に最新の生化学さえも扱うような集団の中で・・ABO式の僅か4パターンの人格類型や、4C2の僅か6パターンしかない組み合わせの相性とやらを本気で信じているのか。


それとも、皆が無意味だと知りつつも、調子を合わせて演技的に話しているだけなのか。

誰かが本気で信じていて、皆がその誰かのために付き合ってあげているのだろうか。
もしかしたらそんなこと信じている人は一人もいないのに、居もしない誰かのためにみんなが気を使っているという奇妙な状況だったりしないか?

・・等と考えてしまう。


元々ボクはコミュニケーションの中で、冗談と本気の区別をつけることがものすごく苦手。
そんな中で、一般的な冗談よりも時に本気で信じ込む人が居るらしい似非科学やらオカルトじみた話になると、ますます混乱するのだ。


ボクも周囲に合わせてそういうものだと受け流しておけば良いんだろうし、おっさんになるにつれて、遅ればせながら演技をしてやり過ごすということもするようになってきたんだけど・・オカルト、似非科学がらみはどうしてもそれができない。

大体相手が何考えてるか見切れるときはそれに沿ってやればいいんだけど、オカルト系になると途端にそこが読めないんだよなぁ。
誰が本気で、誰が空気読んでるのか。

そうすると、迷いが生じる。
心から信じてるような言動を取れば良いのか・・でも、それは恥ずかしいんだよなぁ。
常識的にみんな本気で信じてるとは思い難いし・・。

そしてボクは、「あぁ・・うん・・・あ、うん・・・」
・・ってなる。


ま、「すいませんそういう話嫌いなんで」とか言ってた頃よりはマシになったのかな。


しかしまぁ、妙なオカルトでメシ食ってる連中は、ご先祖様に呪い殺されると良いと思うよ。(矛盾(笑))

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ
にほんブログ村
posted by かのぴ~ at 00:00| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする